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全教 東日本大震災支援ニュース第25号 [応援してます 東北・関東]

被災地の子どもと教職員へ、学校と教育の復興へ、全国から支援と激励を!

東日本大震災支援ニュース 第25号

全教(全日本教職員組合)・教組共闘 東日本大震災対策本部


2012年3月16日

 東日本大震災と原発事故から1年。あらためて、犠牲になられた方々に深い哀悼の気持ちを表明します。私たちは、この一年、被災地に心を寄せて活動を進めてきました。あらためて、「いま被災地に何が求められているのか」考えようと、2月25日~26日、「被災地のいまを訪ねる行動」にとりくみました。そこで見たものは、生活や仕事の再建が遅々として進んでいない被災地の現実でした。
 子どもたちが安心して学び、生活できる環境をとり戻すまで、私たちはとりくみを続けます。


全教は、2月25日~26日
【被災地の“いま”を訪ねる行動】への参加をよびかけました
 この呼びかけに、岩手・宮城・福島の3県からの12人をはじめ、全国から77名が参加しました。


子どもと教育を語るつどい2012……2月25日仙台
被災地で「学校」と「教育」の意義を語り合いました


 2月25日(土)午後、「子どもと教育を語るつどい2012『被災地で ともに考え語りあう子どもの幸せと教育の未来』」が開催されました。


 制野俊弘さん(東松島市立鳴瀬第二中学校)~宮城からの報告。
 津波で校舎が使えなくなり、別の学校に間借りする生活。でも、その中で、運動会にとりくみます。生徒たちと運動会の一つ一つのプログラムを作っていく中で、生徒たちが元気を取り戻し、生活する意欲を取り戻していく、それが学校の復興につながり、地域を元気にしていき、そして感動の運動会。それは、まさに感動のドラマでした。
 しかし、一方で統廃合の動きが加速しています。「学びたい子どもがいて、それを支える地域があって、ともに学びたい教師がいれば学校は成り立つ」「住民がいないから学校をなくすというが、反対に『学校』があるから『住民』が集まり『地域』が守られるのではないか」という制野さんの発言に、拍手がおくられました。


 岩手県陸前高田市の岩手県立高田高校の伊勢勤子さん
 「大学の推薦入試の面接で、被災当時のことを質問されて涙が止まらなくなってしまった生徒がいた」ことなど、つらい体験を報告してくれました。


 「ふくしま復興共同センター放射能対策チーム」の佐藤晃子さん
 「避難生活も福島での生活も、どちらも選択できるよう自由を保障してほしい。外で遊べない中、子どもたちの体力低下が心配だ。乗れていた自転車に乗れなくなった子もいる。」と、報告しました。



 被災地の教職員との交流のタベ……2月25日仙台
 「家族の日常生活を奪った原発事故。でも、きょうのように集まって話す場があることで前に進めます。」(福島高・小林さん)
 2月25日の夜は、「被災地の教職員との交流の夕べ」。70名の参加者全員が、一言ずつ、どんな思いで参加したか、ボランティアその後、いま被災地に思うことなど、語り合いました。
 福島県立高教組の小林さん(子ども三人)は、子どもたちを多賀城に避難させたこと、でも末の子は親と離れるのを嫌がって福島にいること、日常の生活が原発事故によって奪われてしまった悔しさ、辛さ。「でも、きょうのように集まって話す場があるから、前に進めます」と発言。
 交流会の最後に、「あなたが夜明けを告げる子どもたち」を全員合唱して終わりました。
 参加者からは、「よい機会を作っていただき、感謝」「様々な思いや実践を聞けて
良かった。忙しい中でも大切なことだからこそ時間を作るという言葉が、心に残っ
た。」と感想が聞かれました。
 全教・教組共闘らしい、連帯感があふれる、暖かい交流の場となりました。



被災地を訪ねる行動2月26日(日)
 朝8時から貸切バスで、東松島・石巻・女川を訪ねました。


 「現地の先生方のお話からも、復興ヘの道の険しさを思った。」「事実を見て、何と何をすべきか考えた。」


 津波被害にあった野蒜小学校・鳴瀬第二中学校・門脇小学校・石巻市立女子商業高校を訪ねました。
 現地に立って、そこに勤務されている先生方に、地震当時のお話、間借り校舎のこと、子どもたちの様子、現在のお話を聞くことができました。
 ボランティアで活動した水産加工場。ヤマトミ水産は元気でしたが、ほかの加工場はまだまだ。「水産加工が復興しなければ、石巻の本当の復興はない」と言われていますが、県は、住民の声を聞かずに「漁業特区」構想をすすめようとしています。


 女川では、女川第二小学校の校舎で、3つの学校が学校生活を送っている状況を見て、仮設住宅に暮らす岡野さんのお話を聞きました。
 女川原発に対して、建設反対運動を行い、建設された後も住民の安全を守るねばりづよい運動があったことも聞きました。
 参加者は、「報道だけで知っているつもりになっていた。津波が突き抜けた校舎、がれきの山などを見て、天災の部分と、私たちが取り組まなければならない人災の部分と、これからもずっと考えていかなければならないと思った。」と感想を話していました。

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フクシマからのアピール [応援してます 東北・関東]

フクシマからのアピール  

    福島県立学校退職教職員九条の会


◇吹き飛ばされた人権


 どこに住みどんな職業に就こうと、かけがえのない個人として尊重され、健康で文化的な生活を送り、幸福を追い求める日々であってほしい。何よりも恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生きてほしい。そんな願いを込めて、私たちは若者を社会に送り出してきました。
 しかし、東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故は、私たちの思いも、若者たちの未来も、一瞬にして打ち砕いてしまいました。さらに日を追うごとに、希望の明かりが見えてくるどころか、「レベル7」が引き起こした問題は広がりつづけ、事態は深刻さを増すばかりです。この事態を目の当たりに、口惜しさと後悔の念が複雑に入り交じるなかで、私たちは三十数年前の日々を思い起こしています。


◇悔しさの中で


 福島第一原発の建設に不安を抱いた住民は、国を相手に裁判を起こそうとしました。しかし原告団に名前を連ねると、たちまちにして地元有権者をはじめ、様々な圧力や切り崩しにあい、つぶされていったのです。それでも第二原発の建設計画が明らかにされると、住民による抗議・反対運動は繰り広げられ、1973年、全国初の公聴会開催にまでこぎつけることができました。ところが、意見陳述人として選ばれたのは、原発推進派の地元有権者らが圧倒的に多く、その上、外部からの傍聴希望者の大量応募で、肝心の地元住民の多くは会場から閉め出されてしまったのです。「原発の危険性を明らかにする」はずの公聴会は、全体としては「原発推進の場」に変えられてしまいました。現在問題になっている「やらせ」は、実に福島での公聴会当時から既に行われていたのです。
 承服できない住民は、翌年、今度は様々な妨害・障害を乗り越えて、404人にも及ぶ大原告団を組織し、国を相手に「原子炉設置許可処分取り消し」を求める裁判を起こしました。私たち教職員の仲間も大勢加わりました。裁判では、使用済み核燃料・核廃棄物の最終処分が未解決であること、原発立地は持続的な地域開発に結びつかないこと、そもそも日本のような地震大国の技術的に未完成な原発を建てること自体に大きな危険があること、万が一にも地震や津波によって重大な事故ともなれば広範・多面かつ長期に放射能被害をもたらし、福島は放射能被害の一大実験場と化すだろう、とまさに今日の事態を警告し、訴えたのでした。
 これに対し国(東電)は、「多重防護策による絶対安全」を主張する一方で、「原子力は安くて安全、資源小国日本に最もふさわしい上、環境に優しいクリーンエネルギー」との「神話」をまき散らしました。しかも第一原発にいたっては、冷却用海水汲み上げ費用節減等のため、海抜35メートルの台地をわざわざ25メートルも削り取って建設したのです。
 17年9ヶ月にも及ぶ裁判は、国(東電)の主張を認め、住民の訴えを退けるものでした。こうして「原発反対」の声を実らせることができず、あの狭い地域に10基もの原発が建ち並ぶことになったのです。
 操業開始後も、東電は事故をひた隠しにし、データを改ざんするなど悪質な犯罪的行為を繰り返し、90年代からは、大津波により制御不能に陥る危険性が指摘されていたにもかかわらず、耳を貸すことはありませんでした。このような姿勢こそが今日の大惨事を招いた根本原因であり、原発事故は一大人災だと言わざるを得ません。
 一方私たちも、原発のある風景に次第に慣らされてくるにつれ、危険性を訴え、運動を継続していたのは一部の人にとどまり、その輪を大きく広げることが出来ませんでした。国・東電・地元推進者たちがこぞって広めた「安全神話」、「原発による地域の振興」の掛け声を押しとどめることも、子どもたちが「原子力、明るい未来のエネルギー」などの標語を作らされている現実があるというのに、これに対抗して「原発の危険性を見抜く力をはぐくむ教育」を、十分にはなし得ませんでした。結果として、たとえ積極的に支持することはなかったにしても、「原発のある社会」を容認してきてしまったことに深い悔いと責めを、私たちは今になって覚えさせられています。「自然豊かな故郷を子どもたちに」どころか、放射能被爆という恐怖にさらしてしまい、子どもたちの未来を守ってやることが出来なかったのです。福島の地で、「子どもたち=未来」と向き合う仕事に生きてきた私たちは、この点において、どんなに悔やんでも悔やみきれません。
 さらには、「憲法九条を守り、教え子を再び戦場に送らない」を共通の願いとしながら、「原子力の平和利用」という言葉に幻惑され、「核兵器の潜在的能力保持のためにも、原発の維持は必要だ」とする本音を十分に見抜いてこなかったことも悔やまれます。


◇私たちの決意


 私たちは今、反省の思いも込め、改めて大きな声で訴えたいと思います。
 政府と東京電力は、「内外の英知を結集して一刻も早く事故を収束させよ」、「被災者の救済に全力をつくせ」、「すべての人々、とりわけ子どもたちを被爆から守れ」、その上で「事故の原因を徹底究明し、安全神話の上に成り立っていたわが国のエネルギー政策を根本から見直し、原発のない社会を目指せ」と。さらに「それらが何ひとつ解決されない段階だというのに、原発の再稼働、さらには原発政策の継続を目論むばかりか、原発の海外輸出を口にするとは、ヒロシマ・ナガサキ・フクシマと、国民を三度も被爆させてしまった国の指導者として恥ずべきことだ」と。
 全国各地・全世界で沸きあがっている「原発ノー」の声に勇気づけられつつ、被爆地フクシマの退職教職員として、私たち自身の決意を表明します。全国の皆さん、とりわけ教職員・退職教職員の皆さん!わたしたちの決意に連帯してください。それぞれの地で、元気にねばり強く、声をあげ続けていきましょう。


○ 私たちは、今こそ未来を担う子どもたちが「恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利」を実現するため、「原発のない社会」を目指します。


○ 世界中がフクシマの教訓を共有すべく、事故原因の徹底究明と責任の所在を明らかにするように求め続け、「人類の新たな一歩がここフクシマから踏み出された」と評される社会の建設に力をつくします。           

                           2011年12月11日
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自分に何ができるかを考えた3日間 全教の大震災支援ボランティア活動 [応援してます 東北・関東]

全教・全日本教職員組合の東日本大震災支援活動2011/08/09


第3次救援ボランティアに255人が参加


震災の実情を見た、子どもと学校の現状を知った、復興の課題を学んだ、そして戻ったら自分に何ができるかを考えた3日間


 全教・教組共闘連絡会の第3次ボランティアは、8月3日から5日の日程で石巻市で行われ、これまで最大の255人が参加し、がれき処理、住宅の泥出し、稲の苗箱洗い、仮設住宅への野菜のお届け、避難所への激励にとりくむとともに、宮城県の高教組・県教組の役員や地元の方から子どもと教職員の被災状況、学校と地域の復興の課題などを聞き交流を深めるなど、大きな成果をもって終了しました。


お盆を前に、焼けた門脇小の近くのお墓でがれき処理


 初日、全員でとりくんだお墓のがれき処理では、墓石が倒れ散乱する中で、津波で覆いかぶさったがれきを取り除き、紙くずや泥をかき出し、お墓がきれいに見えるようになり、お寺の住職や墓参の遺族から大変感謝されました。


がれきの中からは、家族や子どもの写真や卒業証書などの思い出の品、クレジットカードや財布などの貴重品も出てきて、家族の手元に戻るよう市役所に届けました。墓地の奥の方でがれきの下から遺体が見つかり、お盆を前に身元が分かり遺族のもとに帰れるようにお祈りしました(合掌)。


250人ものがれき処理は地域でも注目され、東京新聞など地方紙が写真入りで、「お盆前にできる限り…」「全国から集まったボランティアの教師らが、がれきの撤去に汗を流した。全日本教職員組合の呼びかけで250人が集まった」と報じ、福井高教組の組合員のコメントを紹介しました。


 この日は、開会集会を門脇小の校庭でおこないましたが、津波とともに押し寄せた重油の炎上により外壁が黒く焼けただれた校舎は、窓のサッシが溶けているなど、炎のすさまじさをとどめていました。海岸から1キロあまりの街一帯が廃墟となるなか、そこに立つ焼けた校舎の姿は、さながら被爆後の広島のようで、震災の衝撃をとどめる歴史的なモニュメントとなっています。参加者も、校舎と一階の職員室・保健室や教室の跡などを熱心に見つめ写真に収めました。


 昼の休憩時には、裏山の急階段を登り日和山の上から被災の全貌を視察しました。3月11日、押し寄せる津波を背に、この山に子どももお年寄りも必死に登ったことを思いながら、参加者は階段に汗を流しました。

山上では地元在住の菊池さん(元宮城高教組委員長)から、
 門脇小学校の子どもたちが普段の避難訓練どおり日和山に避難して全員が助かったこと、
 校長室にあった耐火金庫のなかの卒業証書は無事で卒業生に手渡されたこと、
 コカリナ演奏者の黒坂黒太郎さんが焼け残ったアカマツの木からコカリナ300個をつくって子どもたちに送るとりくみをすすめていることが報告され、
「アカマツがコカリナとして蘇ったように、石巻も復興してほしい」との黒坂さんの言葉が紹介されました。





 作業の終了後、再度、門脇小の校庭に集まり、まとめの会をおこないました。
 ここでは、現宮城高教組委員長の髙橋正行さんから県内の子ども・高校生と学校の現状についてお話を伺いました。


髙橋さんは、
「地震や津波は天災だが、それから5カ月も経とうとしているのに、いまだに避難所に多くの方が暮らし、子どもたちが他校に間借りして勉強し、高校生が深刻な就職危機に直面していることは人災だ」と述べ、
「いま何がほしい」と聞くと「学校がほしい」と答えた子どもの願いに応えられる教育をすすめなければならないと、熱い思いを語りました。
 また、「卒業したら石巻からもっと広い世界へ」と考えていた高校生が「地元にとどまり、地域のために働きたい」との思いを募らせていることを紹介し、「しかし現状は、親も5割から7割が離職している状況で、地元の就職は厳しい。でも、ここで青年を県外に出したら復興はない、何としても地元に仕事をつくるために国の支援が必要だ」と強調しました。
参加者はメモを取るなど熱心に聴き、全国が心ひとつに被災地の生活再建のためにたたかう運動の大切さをかみしめました。


住宅の泥だし、稲の苗箱洗いなどにとりくみ


 2日目からは、5台のバスなどに分乗し、住宅の泥だし、稲の苗箱洗い、仮設住宅へ野菜届けなどにとりくみました。


アパートの泥だしに行った50人のグループは、床下にたまったままの泥を掻き出すために、床板をはがし、屈んで汚泥をすくい出すという臭いもきつい重労働に汗を流しました。大家さんからは、「救援が来なくて困っていた、助かりました」と感謝の言葉があり、近所からは「明日はうちも」と要望が出されました。


県教組組合員の自宅の泥だしに行った10人のグループは、日本製紙の工場から流れ出た大量のパルプや紙屑が40~50㎝も積もった庭の泥をシャベルで掘り起こし、土嚢袋につめて外に運び出しました。


 住宅街でも、幹線道路から奥に入るとまで救援の手が届いていない地域があることも分かり、引き続く全国からの救援の必要を痛感しました。



 東松島市にある農家8軒が共同経営している会社から、全労連の現地支援共同センターに津波で泥をかぶった稲の苗箱を洗ってもらえないかと要望があり、全教・教組共闘から2日間でのべ130人が行って、泥まみれ、水浸しになりながら、汗だくで作業を続け、8千箱の洗浄作業をやりとげました。

この会社の津波による被害総額は1億2千万円でしたが、捨てようかと思っていた苗箱が使えるようになり800万円分を取り戻せたと喜ばれました。


 ここには、県教組石巻支部委員長の渡辺さんに来ていただき、近くにある被災した浜市小学校の校舎や体育館の中に入って視察し、子どもたちのようすを伺いました。


 翌日には、近くの避難所となっている公民館に組合員が出向いて紙芝居などを行い、子どもたちに大変喜ばれました。


仮設住宅へ野菜を届け、被災した住民や子どもを励まし、要望を聞き交流


 仮設住宅には、3日目に、100人がバス2台と神障教組のマイクロバスに分乗し、野菜などを届けました。
全国のカンパから農民連に注文して届けてもらったジャガイモ、玉ねぎ、キュウリ、枝豆は、前日、神障教組からの参加者23人の団結の力でたちどころにより360袋に小分けされ、バスに積み込まれました。

石巻市郊外にある最大の仮設住宅トゥモロータウンでは、55人の参加者が組をつくって210世帯に野菜を届け要望を聞くとともに、小さな公園では、ギターと歌で住民の方も集まり、生活用品を広げ、子どもたちに風船をあげるなど喜ばれました。


入居者からは
「近くに店がない」
「公共機関がない」
「自動車も流され移動の手段がない」
「住宅のまわりの草刈をしてほしい」
「物資の配達は、震災直後は多かったけれど、最近はあまりない」
という声がきかれ、今後の息の長い活動の必要を感じました。


 また、女川町から被災者が入居したばかりの仮設住宅には、日本共産党町議会議員の青空市と協力して、谷間の県道沿いに1キロ近くも続く22棟、約200軒の家々に手分けして野菜を届けました。
 多くの参加者は被災住民と話ができ、また、持参した紙芝居や指人形で子どもと遊ぶ活動もおこないました。

青空市場には多くの住民が訪れ、用意された衣類、タオル類、食器、調理用具、トイレットペーパーなど多くの生活用品が持ち帰られました。
 青空市場には、福井高教組の参加者に託されたタオル類や埼玉高教組組合員より託されたコマも支援物資として提供されました。


 古川駅近くに宿泊した東京からの参加者は、宮城県教組の斉藤委員長や古川支部の皆さんとの交流会もでき、幅広く交流を深めることができました。


 参加者からは、
「全教ならではの企画で、学校や子どもたちのことも知ることができてよかった」
「被災地のために働くことと地元に帰って知らせること、開会集会で言われたこの2つの仕事をちゃんとしようと思う」
「今後も地元で何ができるか考えていきたい」
「津波が流したものを、人の津波で復興したい」
「全教・教組共闘からの案内でボランティアに参加できてよかった」
など、感想が寄せられています。


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石巻へ 全教などがボランティアへ [応援してます 東北・関東]

全日本教職員組合(全教)の東日本大震災支援の活動

【行動】2011/07/25~27


◆夏の被災地ボランティア~第1陣90人が石巻で活動

 5月連休中のボランティア行動に続いて、夏のボランティア行動の第1陣が7月25日から3日間、石巻市内を中心に行われ、全国から集まった90人の教職員が参加しました。

  今回の行動は、全教・教組共闘東日本大震災対策本部が、「被災地のために何かしたい」という全国の教職員の思いを具体化するために呼びかけたものです。



 ほとんどの参加者が前日に仙台市内のホテルに宿泊し、翌日からの活動に備えました。25日未明に大きな地震があり(震度5弱)、初日の電車のダイヤが大きく乱れましたが、昼前には現地に全員集合して第1日目がスタートしました。


 今回は2つのグループに分かれた活動になりました。1つのグループは狐ヶ崎地区という海岸沿いの集落に向かい、6軒に分かれて、牡蠣の稚魚を付着させる「原盤」づくりの手伝いを行いました。漁師の方やご家族から震災が起きたときの状況や、漁業再建への強い願いをお聞きしながら、なかなか支援が届かない小さな漁村のみなさんに「数は力で」一定の貢献ができたかと思います。



 もう一方のグループは、被災して全焼した門脇小学校近くの、西光寺というお寺の墓地の瓦礫撤去の仕事でした。墓石も何もかも散乱し、全面的に汚泥が包み込んでしまった墓地を、炎天下でこつこつを片づけていく仕事ですが、汗みどろになりながらも、お互いに声を掛け合いながら元気にとりくみました。


 2日目はグループの仕事を入れ替え、3日目は仮設住宅で野菜やお米、生活用品のお届けを行いました。市内中心部の瓦礫はほぼ片づき、一見「復興」したかに見える街の様子ですが、仮設住宅の供給は8月いっぱいでも終わりそうもなく、また被災者の皆さんの生活支援も全く不十分な状況であることがよくわかりました。


 この3日間で、西光寺の住職さんや宮城高教組元委員長(石巻出身)の被災当時のお話、女川町教育長に子どもたちの様子や今の課題についてのお話を聞くことができました。先日届けた全教の義援金についても、就学援助等、子どもたちのために使いたいと教育長自らが語ってくれました。
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東日本大震災支援ニュース第20号 [応援してます 東北・関東]

被災地の子どもと教職員へ、学校と教育の復興へ、全国から支援と激励を!


東日本大震災支援ニュース第20号


全教・教組共闘 東日本大震災対策本部 
2011年6月28日


 全教・教組共闘はこの間、自治体訪問により全国の教職員から寄せられた震災復興支援の募金を届けてきましたが、6月24日には福島県の広野町、いわき市、富岡町、川内村を訪問し、募金をお渡ししました。この日の訪問には全教本部から土方功中央執行員、吉田正美専門委員が参加、広野町、いわき市訪問には福島県教組いわき支部の佐藤明美書記長も参加しました。


 広野町、富岡町、川内村は福島原発事故により役場機能全体が役場所在地域からの移転を余儀なくされ、広野町はいわき市内に、富岡町、川内村は郡山市内に仮庁舎を設置しています。


約500人が180校に分散-広野町


 広野町の子どもの数は小学生289人、中学生228 人、合計517人です。地震による大きな被害は建物にはありませんでしたが、広野町は緊急時避難準備区域に指定されたため、ほとんどの町民は町外への退出を余儀なくされました。それにしたがって役場機能のすべてもいわき市内に移転されるとともに、広野町の小・中学生517人は180校に分散しました。その内半数はいわき市内の学校で学んでいます。
 訪問に対応された古市良彦教育次長は、「原発事故が収束せず、ゴミ処理などの方針も未確定で、地震、津波による民家、公共施設損壊の片づけにも全く手がつけられていない。原発関連で仕事をしていた住民も多く、今後の雇用確保も心配だ。地域産業の再生・再建と併せて学校の再開も早く実現したい。義援金を有効に活用したい」と語りました。


子どもの精神的なケア重要-いわき市


 いわき市も沿岸部を中心に、地震、津波で大きな被害を受けましたが、警戒区域、計画的避難区域、緊急時避難準備区域には指定されていないため、いわき市立の小中学校は、近隣の計画区域などから転出してきた多くの子どもたちを受け入れています。
 訪問時に対応した学校教育課の指導係長、指導主事らは、「その数は毎日のように変化するが、今でも1000人以上になる」と語りました。そして「原発問題を子ども中心に考えると、原発事故を発端に、家族とともに避難所を転々と移らざるをえない子どもたちの精神的なケアがきわめて重要な課題になっている」と指摘しました。


いつでも戻れるよう準備進めたい-富岡町、川内村


 郡山市内にある複合施設「ビッグパレット福島」は、いま丸ごと、富岡町と川内村住民の避難所になっています。この施設の敷地内に両役場の仮庁舎が設置されていました。
 訪問に対応された富岡町の教育長、庄野不二男さんは、「町内の小中学生1400人のうち、7
00人は県外に避難している。富岡町からの避難生活が長引くと学校を再開しても戻らないかもしれない。それが一番心配。原発事故が収束し、避難指示が解除されればすぐに学校での教育活動を再開できるように、すでに準備にかかっている。義援金はありがたい」と学校再開にむけの様子を紹介してくれました。


 自治体訪問に対応した川内村教育総務課の副主査、西山祐子さんも「避難指示で村外に避難した子どもたち172人の所在を確認する作業はたいへんだった」と振り返るとともに、「子どもたちが村の学校にもどるためのそうじなどがすでにはじまっていると」語ってくれました。

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東日本大震災支援ニュース第18号 [応援してます 東北・関東]

被災地の子どもと教職員へ、学校と教育の復興へ、全国から支援と激励を!

東日本大震災支援ニュース第18号


全教・教組共闘 東日本大震災対策本部

2011 年6 月21 日

市町教育委員会訪問


義援金を子どもと教育のために贈呈


名取市・岩沼市・亘理町・山元町


6月15日に仙台駅からスタートした宮城南部コースは、全教の井村・土方両中執と宮城県教組金野中執が担当し、名取市・岩沼市・亘理町・山元町を訪問しました。
名取・岩沼両市には宮城高教組野中書記長も同行しました。


  名取市では丸山春夫教育長がにこやかに迎え入れてくださり、教育長室で義援金の贈呈とベトナムの子どもたちが描いた絵とメッセージをお渡ししました。


  名取市の閖上地区の被災状況はテレビ等でも取り上げられており、地区内にある宮城農業高校の再建のめどはたっていません。現在生徒たちは毎朝早く市役所そばの駐車場に集合し、県内の3校の農業高校に分散して通っています。

  また仮設住宅や民間のアパートを借りて生活をしている市民も多く、現在7つのバス路線をつくって学校への送迎をしているとのことでした。


  その他の地区の被災状況も含めて、市がまとめた冊子に沿って、さらに具体的な被災状況の説明も受けました。


  教育長からは「私たちだけではお手上げの状態です。災害復旧・復興は役所の職員だけでできる規模のものではない。義援金はとてもありがたいし、今後もぜひ支援をお願いしたい」とのメッセージを受け取りました。さらに「震災は目に見えるが、放射能は目に見えないので不安が大きい。これからこの点が大きな課題になる」との指摘でした。


  次に伺ったのは隣の岩沼市でしたが、訪問時にちょうど緊急の議会が始まってしまい、教育長にお会いできませんでした。応対してくれた内海課長との懇談の中では、「現在、子どもたちの心のケアが大きな課題になっている。明日は各学校の代表を集めて心のケアの研修会を行う予定になっている」という話がありました。岩沼市でも仮設住宅から通学する子どもが現在も多く、小学生にはバスを配置し、中学生には自転車での通学を促しているそうです。


  岩沼市から亘理町に向かう道の両側には田圃が限りなく続いていましたが、いまだに乗用車が横転したまま放置してあったり、道路に船が何艘も置き去りにされていました。青々とした田園が戻るのはいつの日になるのか、心が重くなる風景でした。



  午後から伺った亘理町では、我々の到着を岩城敏夫教育長が待っていてくださり、親しく懇談することができました。教育長自身が被災し、現在も2部屋の民間アパートで不便な生活を余儀なくされているそうです。亘理町もテレビなどで被災状況が何回か伝えられ、海岸線に位置する学校が津波に襲われましたが、小さい町だからこその小回りが効き、きめ細かい連絡を取り合うこともできたために被害は少なかったとのことです。被災した海辺の学校の1 階部分を復旧したいが、全壊でないために国からの予算が出ず困っているのでぜひ文科省などへ働きかけてほしいという要望も伺いました。やはり現在は放射能汚染が一番の課題で、町として保育所、小中学校、公園などをモニタリングしてHPに公表しているそうです。


  最後に訪問した山元町は役場の損壊が激しいために仮庁舎を建設中で、教育委員会は同じ敷地内の歴史民族博物館内のごく狭い1 室に間借りしている状態でした。博物館入り口の一隅で対応していただいた岩佐学務課長は、「震源地が町の真東で、海側の被害は甚大だった。区域外通学は123人から79人に減少したが、送迎車にガソリン補助をいち早く打ち出し、保護者からは大変好評」とのことでした。放射能汚染への対応には大変苦慮しているとのことで、5月24日から週2回のモニタリングを行っており、今日(6/15) から各学校に測定器を各学校に配置するそうです。





7・23ひまわり集会 

静岡市 駿府公園

7月23日(土)11時から、静岡市 駿府公園 東御門前広場で、

浜岡原発の永久停止・廃炉を求めて  の一点で、大集会を行います。

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東日本大震災ニュース第17号 [応援してます 東北・関東]

被災地の子どもと教職員へ、学校と教育の復興へ、全国から支援と激励を!

東日本大震災支援ニュース第17号

全日本教職員組合(全教)・教組共闘 東日本大震災対策本部

2011 年6 月20 日(月)

大船渡市、陸前高田市、気仙沼市、南三陸町の教育委員会を訪問

子どもと教育の願い込めて義援金を届け激励


6 月15 日、全教、教組共闘連絡会は、津波による甚大な被害を被った沿岸の各市町の教育委員会を訪問し、お見舞いを述べるとともに、それぞれ義援金100 万円を手渡し、子どもと教職員への支援、教育の復興のために活用していただくようお願いしました。
 

 大船渡市、陸前高田市、気仙沼市、南三陸町を訪問したコースには、全教から磯崎副委員長、波岡中央執行委員、教組共闘連絡会から齊藤代表幹事(宮城県教組委員長)が参加し、この間の救援活動や文部科学省への要求などについて説明し、子どもと学校の被災状況や復興への課題についてお話を聞き、懇談しました。どこの教育委員会からも、学校にいた子どもたちが教職員の誘導で全員無事だったことへの感謝と、心に大きな傷を抱えている子どもたちを見守り受けとめていけるよう現場の教職員を支援していく決意が語られました。


 大船渡市では今野教育長が、津波が校舎のコンクリート壁をなぎ倒し、体育館の鉄骨を飴のようにねじ曲げた惨状、学校が避難所や仮設住宅に使われ子どもたちに十分な活動場所を与えられないでいる現状を説明し、そんな中でも、学校再開の3日後から、わかめご飯、チキンの照り焼き、味噌汁の温かい給食を出したと述べました。
 また、心の傷を抱えた子どもたちを支えてほしいと、教員を各校に1~2 名を加配していることを明らかにしました。


 街全域が壊滅し、21 人の教育委員会職員のうち教育長など17 人が死亡・行方不明となった陸前高田市では、プレハブ市庁舎の外で青空懇談を行い、金教育次長らと率直な懇談を行いました。多くの学校が被災したなかで、教職員が自ら被災しながら、子どもの避難、安否の確認、学校再開へと休みなくがんばっていることに感謝し、各校に2~5 人の教員を加配していると述べました。子どものための支援物資やボランティアについても、何かあれば連絡すると述べました。給食設備が破壊されたなか、災害救助法を使いすべての子に仕出し弁当給食を実施したり、通学に必要なバスを確保するのに、県から派遣された職員ががんばっていることも紹介されました。


 全市で1500 人近くが死亡・不明の気仙沼市では、白幡教育長が対応し、学校を避難所や仮設住宅建設に利用せざるをえず、体調を崩す先生の補充で「途中人事」を実施していることなど、学校の状況を説明しました。また、宮城高教組の高橋委員長が合流し、気仙沼高校の生徒30 人以上が鉄道不通で学校で宿泊している問題で食事の提供を要請し、教育長は、定時制の給食費を引き下げるため食材の提供をお願いしていると述べました。


 志津川をはじめ入り江の街が壊滅し人影もなく片づけもすすんでいない南三陸町は、役場庁舎も流され、プレハブで主幹が対応しました。戸倉小は屋上まで波が覆い、学区域の住宅も壊滅したため、他の市に集団で移転し学校も廃校になった校舎を借りて再開しています。志津川中からは生徒たちが集団下校し、バスに乗って帰宅する状況も見かけました。

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被災地の子どもと教職員へ、学校と教育の復興へ、全国から支援と激励を!

東日本大震災支援ニュース第16号

全日本教職員組合(全教)・教組共闘 東日本大震災対策本部        
2011年6月13日(月)

八戸市教育委員会に義援金を届け教育長と懇談 6月10 日


「子どもたちが教職員のおかげで全員が無事だったことに感謝」(教育長)


 6月10日、全教・教組共闘連絡会は、青森県で東日本大地震による被害が最も大きかった八戸市の教育委員会を訪問し、義援金を届けました。本部から磯崎・全教副委員長(教組共闘連絡会事務局長)、地元から安西・県教組書記長、田端・三八支部副委員長(女性部長)が参加し、教育委員会からは、松山隆教育長と芝俊光教育部長らが対応しました。


 はじめに、磯崎副委員長がお見舞いを申し上げるとともに、全教の申し出に快く対応していただいた教育委員会に感謝し、挨拶しました。全教・教組共闘連絡会が、子どもの命と教育を何よりも大切にする立場から、大震災以来、救援募金や物資支援、ボランティアなどにとりくんできたことを紹介し、「子どもたちの支援、教育の復興のために活用していただきたい」と100万円の義援金を教育長に手渡しました。


 松山教育長は、「子どもたちの教育のために使わせていただきたい」と表明し、市民が一人亡くなり行方不明の方もいる中で、学校の子どもたちは教職員のおかげで全員が無事だったことに感謝していると述べ、被災した子どもたちの心のケア、教育相談にとりくんでいることを紹介しました。


 教育部長からは、学校耐震化工事をすすめてきたため大きな被害がなく、津波が押し寄せた学校も無事に運動会ができるようになったと、学校の状況について説明がありました。


 磯崎副委員長は、若い親の世代の貧困化が進んでいる中で今回の震災があり、いっそう生活困難が
広がっている現状を指摘し、憲法26条の教育費無償原則にもとづく教育費負担の軽減などの施策を
お願いしました。


 これに対し、教育部長は、被災した子や被災地から転校してきた子には無条件で就学援助を適用している、これからも努力したいと述べました。


 最後に、地元抜きの上からの復興ではなく、住民の合意を尊重した復興をすすめていくため、政府に対し全教としても要求していくことを表明し、教育長も「よろしくお願いしたい」と応え、懇談を終わりました。

 当日は地元新聞社が取材しました。



漁港や市場などに大きな被害、学校も67校が一部破損


 津波の被害にあった沿岸部を三八支部の田端副委員長に案内していただきました。

 沿岸部には、漁港があり魚市場や関係企業が集まっていますが、骨組みが曲がり壁が破られた建物があちこちに残っており、津波の力の強さを示していました。仕事がなくなり生活不安を抱える保護者や卒業生がいるとの話も伺いました。

 海岸近くの学校や住宅の多くは一段高いところにあり、大きな津波被害は避けられたようですが、津波は川を10キロも遡上するほどの強さがあり、市の発表では地震と津波で67校が一部破損し、
被害総額は教育関係で約4億円にもおよびました。

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被災地の子どもと教職員へ、学校と教育の復興へ、全国から支援と激励を!

東日本大震災支援ニュース第15号

全教・教組共闘 東日本大震災対策本部

2011年5月25日(水)

福島県立高教組を先頭に、東京電力と交渉

放射能汚染による学校・生徒への深刻な被害に緊急対策を!


   福島県では、原発事故による放射線汚染により、避難地域にある9つの県立学校(高校8、特別支援学校1)では、本来の校舎が使えず、児童・生徒が県内外の学校に転校したり、他の学校を間借りして学ばざるを得ない(サテライト方式)異常な事態となっています。


   こうした状況のもと、全教・日高教は、現地の福島県立高教組の杉内書記長をはじめ、避難地域の相双支部役員など8名の組合員を先頭に、5月25日午前11時半より1時間にわたる東京電力との交渉を行いました。全教から磯崎副委員長、日高教から加門委員長、藤田書記長、五十嵐執行委員が参加しました。


高校生の学ぶ場と学ぶ権利を奪ったことに対し「明確な謝罪」を要求


   交渉では、最初に、加門日高教委員長が「原発事故による放射能汚染は、広範囲の子どもたちの学ぶ場と学ぶ権利を奪った、明確な謝罪を行なうべきだ。自らの責任を明らかにした上で、被災地域の教職員をはじめとする県立高教組の声に耳を傾け、教育保障の条件を整えるために全力をあげよ」と要求しました。続けて、杉内書記長が福島県立高教組の『高校生・障害児学校生の学習権保障を求める緊急要請書』【別紙】を手交しました。


   東電からは、回答が読み上げられましたが、「多大なるご不便、ご心配、ご迷惑をおかけし申し訳ない」と述べるだけで、緊急の対策については「補償については国の指針策定を待って…」「国と自治体と連携し…」「国の支援を賜りながら…」「第一義的には自治体が対応し…」などと、東電が自ら対応する姿勢を示さないという不当な回答を繰り返しました。



東京電力に学校現場の実態を示し、教育と安全を確保する緊急対策を要求


   これに対して、避難地域を含む学校現場から参加した教職員は、深刻な実態を次々と明らかにするとともに、具体的な緊急要求についても回答を求めました。また、母校を奪われた高校生の学習権を侵害した責任を自覚し、東電としての責任を果たせと強く迫りました。


「修学旅行をはじめ学校行事はほとんども中止になった。部活動はできず、3年生にとって最後の大会にもでられない。普通ならとりくめた高校生活ができなくされている。来年は募集停止になり、母校がなくなってしまうのではないかと生徒たちは心配している」(双葉高校・双相支部書記長)


「原町高校の生徒は母校の前に朝集まり、サテライト校まで20キロもバスで通っているが、バスが足りないため後発の生徒は2時間目から授業が始まり、終了が4時過ぎと遅くなり部活もできない。東電で至急バスを借り上げてもらいたい」(原町高校・双相支部長)


「母校は地震でも津波でも被害を受けていないのに放射能のためにカギをかけられている。サテライト校では、2百数十人の生徒が体育館を6つに仕切ったところを『教室』にして授業を受け、工業科の実習もできずにいる。生徒は母校に早く戻りたいと願っている。東電はこの生徒たちにどう責任を果たすのか」(小高工業・女性部長)


「子どもたちが自分の家に帰り、自分の学校に安心して通えるようになるための行程表を東電として示し、そのための責任を果たすべきだ」(川俣高校・分会長)


「放射線量の累積線量計は各校に一つしかなく、校舎内や校庭での部活動など生徒の活動場面に合わせて複数の線量計が至急必要だ、東電として支給せよ」「校庭の表土の除去には一校で1500万円かかる、県は予算がないと実施していない。東電が負担すべきだ」(足立高校・杉内書記長)



    こうした深刻な実態の告発と厳しい要求に対して、東電側は「学校の実態は把握するように努める」「東電として何ができるか考えている、できることはやっていきたい」と答えました。


東電に子どもと教育にかかわる責任を求めるたたかいのスタート


   東電の対応について、加門日高教委員長は、「心配、不便、迷惑をかけているという東電側の認識の甘さをまず改めるべきだ。第一義的には自治体が対応することなどの回答は許せない」と厳しく批判しました。


   最後に、磯崎全教副委員長は、東電が学校の実態を把握し「東電としてできることはやっていきたい」と答えたことを再度確認したうえで、「原発事故は安全対策を怠ってきた東電による人災であり、全責任を持って抜本的な対策を実施すべきだ。校庭表土の除去やクーラー設置を緊急に実施し、国と東電に費用は請求すると言っている自治体もある。国の指針待ちでなく、東電としてメッセージを自治体や学校に示すべきだ。全面的な財政上の責任を果たすことを求める」と要求して交渉を終わりました。


   今回の交渉は、東電に、子どもと教育にかかわる第一義的な責任を求めていく新たなたたかいのスタートとなりました。社会的にも注目され、NHKをはじめ、新聞各社が取材し、終了後も記者会見などを行いました。特に、福島の学校と生徒の実情について、組合員への質問が繰り返されました。


2011年5月25日

東京電力株式会社代表取締役社長 清 水 正 孝 様
福島県立高等学校教職員組合
執行委員長 高橋 聡


高校生・障害児学校生の学習権保障を求める緊急要求書


   3月11日の東日本大震災をきっかけとした東京電力福島第一原子力発電所で引き起こされた放射能を大量に撒き散らした大事故は、相双地区だけでない多くの福島県民の生活を困難にしました。さらに、この大惨事は未だ収束することなく、放射性物質の放出が続いており、汚染の深刻化への不安が福島県民を苦しめ続けています。


   避難地域にある9つの県立学校(高校8、障害児学校1)では、本来の校舎が使えず、児童・生徒が転校や他の学校を借りて学ばざるを得ない極めて異常な事態となっています。県立高校8校はサテライト方式で、他校の校舎や体育館などで授業を始めましたが、避難先からの通学が不便、部活動が行えない、大会参加に不利がある、実業高校なのに実習が充分に行えないなど、県内他地区の高校生と比較しても多くの困難をかかえ、学習権保障が十分と言えない状況にあります。サテライト校の生徒たちは、全校生が一度も一同に集まることもなく、高校生活を送ることになることも考えられます。富岡養護学校では、児童生徒の半数以上が他県に避難しており、そのうち何名かは通学できていないため、学習権が保障されていない状況にあります。


  希望の春を迎えるはずであった多くの新入生の夢は、一度も母校に通うことができずに打ち砕かれました。さらに地元とのつながりがない中で就職活動を強いられたり、十分な指導を受ける時間がないままに大学受験に臨まなければならなかったりする高校3年生には、不安と不満が渦巻いています。サテライト校に勤務する教職員は、生活基盤地から大きく離れた遠距離勤務地を兼務する疲労とたたかいながら、限られた環境の中でも生徒達に可能な限り充実した教育活動を行うため、必死の努力を続けています。障害児学校の教職員も同様の状況にあります。こうした深刻な状況をもたらした原因と責任が、東京電力にあることは明白です。


   高校生や障害児学校生から、夢と希望を奪った東京電力が、生徒と保護者に対して、いまだ謝罪の一言もないという不誠実な対応に対して心からの怒りを禁じえません。よって、私たちは貴社に下記の事項を要求し、誠意ある回答を求めます。





1 今回の東京電力福島第一原子力発電所事故で避難を余儀なくされ、母校所在地に通えなくなった生徒や保護者に説明責任を果たすこと。


2 通うはずだった学校に通学できないため、各地の高校に転入した生徒、他の障害児学校に分散して学習せざるを得ない児童・生徒、サテライト方式で学ぶことが求められる生徒の教育条件を保障するため、仮設教室や仮設校舎と冷暖房の設置、教育諸経費の負担、避難場所からの通学費などに対して責任を果たすこと。


3 事故収束後、避難対象となった学校の再開に向けて必要なあらゆる財政措置は、東京電力の責任で行うこと。


4 放射線被ばくに脅える県内すべての学校の生徒や教職員のいのちと健康、生活と権利を守るため、以下の項目について、東電の責任で行うこと。

(1)放射線を測定するための線量計を、すべての県立学校にゆき届くよう配布すること。


(2)放射線被ばくから児童生徒の健康をまもるために学校が行う校庭・園庭の表土の除去、実習場・実習施設などの線量を減らすための諸取り組みの経費を負担すること。


(3)警戒区域や計画的避難区域からの避難者を避難所として受け入れた県立学校については、学校独自の負担で受け入れ対応した経費について調査し、その経費を負担すること。


(4)放射線の被ばく線量を考慮して、希望する児童・生徒の長期にわたる健康診断を行う経費を負担すること。


(5)避難生活のストレスや、放射線被ばくへの恐怖感から精神的に不安定になっている生徒や保護者に対応できるよう、スクールカウンセラーや心理カウンセラーの大量配置を行うこと。


(6)放射線の危険性や原発事故の収束に向けた見通しなどを相談したい保護者に対する相談窓口を設けること。


(7)生徒・保護者に学校で放射線防護について学習したいという要望がある場合は、講師の派遣費用を負担すること。
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2011年5月12日(木)


全教・教組共闘 東日本大震災対策本部


東日本大震災の被災者に心寄せ 生かそう憲法 輝け9条
2011年5・3憲法集会に2800人が参加しました(東京)


 憲法施行から64年を迎えた5月3日、全国各       
地で集会や街角トーク・パレードなどが行われま
した。

  今年のとりくみでは、全国各地で「憲法を 
生かして復興を」「憲法を守り生かして安心して 
暮らせる○○に」というスローガンが掲げられて
います。東京・日比谷公会堂では「生かそう憲法    
輝け9条 2011年5・3憲法集会」が2800人の 
参加で開催されました。集会に先立って、「大震
災で亡くなられた方に心を寄せ、沈黙の時を持ちます」との呼びかけで黙とうしました。
 

◆「平和を実現するキリスト者ネット」の糸井玲子さんが主催者あいさつ。

  「第2次世界大戦で5千万人以上の犠牲を出した結果、生まれたのが憲法であり、残されたのが憲法です。『新防衛大綱』は明らかに憲法違反、このあとには軍備増強が待っている。自衛隊の災害救助が注目されているが、「災害救助隊」にすべきであり、日米安保条約を友好条約にすべきです。そのために行動しましょう。」と呼びかけました。


◆千葉大学の三宅晶子教授がスピーチ。
  憲法9条と25条の大切さを語り、「震災後、政府とマスコミによる『日本はひとつ』の大合唱を危惧している。日本人以外の外国の人も多くいる。2010年は韓国併合100年であったが、憲法26条に違反し朝鮮学校だけ補助金の対象から排除した。これは子ども達に差別を教えることにならないか。」「現在と将来の生存権を守るためにアピールしましょう」と呼びかけ、共感の拍手が会場に響きました。


◆ジャーナリストの伊藤千尋さんがスピーチ
  「アイスランドでは、地熱と水力で電力を賄っている。オーストリアは原発を作らないことを憲法に挿入した。日本は最高水準の自然エネルギーの技術を持ちながら国内で生かしていない。これは憲法を生かさない姿勢と同じ。憲法9条の記念碑がカナリア諸島にあるなど、日本の憲法9条を広めたいと思っている人は世界中にいる。コスタリカでは平和憲法ができ、軍隊をやめ、軍事費を教育費に変え、『兵士の数だけ教師を』のスローガンの下、国の宝である子どもの教育に力を注いでいる。その結果、国を変えるのは自分たちであるとの意識が高い。日本でも自覚した市民の力が日本を変える、共にがんばろう」と力強く呼びかけました。


◆社民党の福島みずほ党首がスピーチ
  大震災と原発事故で生存権が侵害されている今だからこそ、「憲法の生存権を守り、憲法の価値を実現するために全力をあげたい」と決意を述べました。


◆日本共産党の志位委員長がスピーチ
  「被災した人々が安心と希望をもてる生活を取り戻す一番の力は日本国憲法。その力をひきだすのは国民のたたかい。復興の進め方は、計画は住民で行い、財政は国の責任で行うことが大事。一番悪いのは上からの青写真の押しつけであり、被災者の声を生かすのが国の責任。重要なのは地方自治と民主主義、国民主権があってこそ真の復興である。」「原発をゼロにするための計画を求めたい。」そして、大震災を党略的に利用して憲法を変えようとする動きを強く批判して、「憲法を生かし真の復興を・・・これを合言葉に力を合わせ頑張りぬきましょう。」と訴えました。

  最後に、思想信条を超え、一層の共同の広がりを呼びかけるアピールを採択。集会中に被災者カンパが訴えられ、125万6507円が寄せられました。終了後、参加者は思い思いのプラカード、横断幕などを手に銀座パレードを行いました。




震災復興を口実にした、憲法改悪の危険な動き
参議院憲法審査会の規程づくりを許さない緊急のとりくみを!


  全教は、東日本大震災の被災者・被災地に心を寄せ、一日も早く子どもたちが安心して生活を送れるようにと活動を続けています。そして、憲法の原則を生かした住民本位の復興再建を求めて、政府への要望をつよめているところです。
  ところが、こともあろうに、震災を口実にした改憲論議が動き始めました。4月28日には、国会内で改憲派議員が「新しい憲法を制定する推進大会」を開き、「大規模災害にも即応できる憲法」に改正すべきとの決議をあげました。また、石破自民党政調会長は衆院予算委員会で、防災体制は万全かとせまり、「緊急事態基本法」の制定が進んでいないと批判し、「憲法改正」を迫る発言を行っています。民主党は、同党憲法調査会を設置、会長に前原誠司氏をあてました。


  さらに、民主党は、参議院で憲法審査会の規程の議決を提案し(5/2)、自民・公明・みんなの各党とともに、議決する構えを見せています。「憲法改正手続き法(国民投票法)」の発動をくいとめるため、この審査会規程案の制定を許さないとりくみが緊急に求められます。(09年、衆議院の憲法審査会の規程を作った時には民主党は反対していましたが、参院では自公と妥協するために規程をつくる構えを見せています。)


  各政党や参議院議院運営委員会の委員に対し、緊急に要請行動を展開し、制定強行を断念させましょう。全教・日高教からの発文書を参考に要請FAXにとりくみましょう。


  さっそく、高知県教組では、要請先を支部ごとに割り振り、行動を始めています。来週18日の本会議に諮られる公算が強いといわれています。急いで、行動をお願いします。


★救援カンパは、4865万7248円(5/9現在)。


  「ボランティアに行きたかったのですが、健康に自信がなく、行くことができません。せめてカンパ・・・と思います」(北海道Sさん)、「職場でカンパを訴えたら、『アメリカの友人の思いです』と250ドル届けてくれた人がいます」(大阪府Kさん)、など、温かいメッセージとともに全国からカンパが寄せられています。


  連休中の活動の中では、このカンパを活用して農民連から野菜を購入し、被災地の方に届けまし
た。

  また、作業に使うスコップや長靴の購入にも活用しました。


  今後も、子どもたち・学校と教育のために
自治体などにカンパを届ける予定です。



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